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18岁日本少女眼中的“混沌”上海

人民中国 2020-04-17 19:34:31

今天,我们继续推送熊猫杯的获奖作品。

幼年时的经历和感受往往对人的一生都会产生影响,或许是一件小事,一段经历,一个故事。下面这篇文章的作者山根芽依1997年出生,刚刚十八岁。小时候她随父亲在上海生活过一段时间,于是,这座城市在他记忆中留下了深刻的印象。上海的新与旧,贫与富、光鲜与破败随着时间的流逝,在她的脑海中成为独特的光影留存,或许这也是她对中国的印象吧。

山根芽依

出生于1997年,现就读于同志社高中。

“啊,上海的味道。”我环顾四周,法国梧桐跃入眼帘。一提起中国,我首先想到的就是这熟悉的味道。

因为父亲调动工作,我上小学的时候,我们全家便搬到上海住了三年,那时,上海的大街小巷都弥漫着法国梧桐的味道。即使后来我回到了日本,一闻到这种味道,就一定会想起上海。

上海有很多种“味道”。这不仅指实际闻到的味道,还包括记忆中许多风景的味道。那些风景或给人快乐、或令人震惊,或让人厌恶,它们全部混杂在一起,形成了三种味道——平民生活的味道、水的味道,还有食物的味道。

电视中的上海,是高楼大厦林立的繁华都市,而在都市的一角,是从老弄堂住家窗口中伸出的挂满衣物的晾衣杆所代表的市民生活。充斥其中的那种即便不富裕,也会开怀大笑的人们的味道,是在当今日本早已消失的悠闲时光。厨房的换气扇,送出的调料的味道飘荡在空气中。还老鼠乱窜的小巷里特有湿漉漉的水气的味道,这味道也鲜明地藏在从水龙头里流出的自来水中。

当今中国已是世界第二大经济体。但在当时还是小学生的我眼中,上海是一个光与影、贫与富共栖共存的地方。有人衣着华丽,住在高层公寓里,雇佣司机为自己开高级进口车;也有人大清早就站在热气腾腾的蒸笼前卖烧卖。街上走着肩扛沉重毛皮的维族人,他们衣着朴素,用亲切的笑容跟人打招呼。而最令我震惊的,则是有一次碰到的一个乞讨少女。在地铁里,她跪在我和家人面前,不断向我们磕头,乞求我们能给她一点钱。那个少女的身影深深地印在了我的脑海中。

尚为十六岁的我讲不出什么大道理,但这些贫困人们所生活的世界应该很狭小吧。自来水也一样,只有认识到它可以更干净,才会想要去改善水质。

因为不了解,日本人对中国的印象并不好。实际上,只要居住在日本,就难免有这样的印象。比如,一提到中国的食品安全,大家的印象普遍不好。确实,中国的食品安全较日本有所欠缺。但是,我们在了解对方时首先应该放弃成见,必须为了解对方的长处而做出努力。

其实,我知道中国有很多方面并不差,但尽管身在国外,由于当时还是小学生,父母将我保护得很好。如果放在现在,我的感受可能完全不同。正因如此,为了让更多人了解我的第二故乡——中国的好的方面,我希望成为日中之间的桥梁。

重要的是去解决问题。但我们不应该仅考虑当下,而是用长远眼光去了解对方。日本人也好,中国人也好,都不应该去片面地考虑问题,而是首先了解对方,承认归属感和文化差异的存在。为了两国人民今后能够更好地生活,这一点必不可少。

“混沌”,这是我心目中对于上海的首选形容词,那其中,混杂着各种各样的味道。

(原文标题为:上海——记忆中的味道)

访华感受:

如果有人问我现在的中国和小时候印象中的中国有什么不同,我的回答会是没有不同。因为我接触到的每个中国人都很热情。我觉得这是因为我曾在父母严密守护的情况下,没有切身感受过中国。我唯一确信的是,自己还会去中国。那时,我希望通过自己的努力了解中国。此次的留学经验,将成为把我今后的人生与中国紧密相连的契机。感谢贵社让我拥有如此宝贵的体验。

(题图摄影/孙立成)


日文原文:

上海──思い出の匂い

山根芽依(やまね めい)

1997年生まれ。

同志社高等学校在学中。

「あっ上海の匂い」。辺りを見回すとプラタナスの樹がある。私にとって中国というと真っ先に思い起こされるのがこの匂いだ。

私は父の転勤で、小学生の3年間、上海に住んでいた。上海の街中いたる所でこの匂いを嗅いでいた。日本に帰ってからも、時々この匂いを嗅ぐことがあると決まって上海を思い出す。

上海にはいろいろな「匂い」があった。それは単に鼻から嗅ぐ匂いというだけではなく、さまざまな風景が持つ匂い。つまり私の思い出である。楽しいもの、驚くもの、悪いものが混ざり合う三つの「匂い」――庶民の暮らしの匂い、水の匂い、そして食べ物の匂い。

テレビに映る上海は、高いビルが立ち並ぶ都会のようだが、その一角には、窓から長い竿に洗濯物をぶら下げた庶民の暮らしが混然一体となって存在している。しかしその庶民の暮らしの中には、裕福ではなくても大声で笑いあう人々の匂い、今の日本では失われてしまったゆったりした時間の流れがあった。そして換気扇から吐き出される香辛料の匂い。ネズミが走る路地裏の湿った水の匂い。水の匂いと言えば、普段私たちが使っていた水道から出る水も、匂いと色がある強烈なものだった。

中国は今、世界第2位の経済大国になっている。その中で上海は当時の小学生の私から見ても、光と影、富と貧が同居している町だった。超高層マンションに住み、高級外車に運転手付きで乗り、身なりも洗練された中国人。一方で、湯気の立ち上る蒸籠で焼売を売っている人。重たそうな毛皮を肩に担いで歩き売るウイグル族の人。後者は人懐つこい笑顔で話しかけてくれる人たちだったのだが、身なりからするととても質素な暮らしをしているようであった。私が一番ショックを受けたのは、物乞いの少女だ。地下鉄で座っていた私たち家族の前に正座をして何度も頭を下げ、お金をくださいと手を差し出した。少女の姿は今でも脳裏に焼き付いている。

16歳の私が偉そうなことは言えないが、このような貧しい人たちはとても狭い世界しか知らないで生活しているのだと思う。水道水も、もっときれいな水にできるかもしれないという事を知らなければ改善されない。

日本でも、中国に対してのイメージは決して良くない。よく知らないからだ。実際に今日本に住んでいたら、そう捉えずにはいられないだろう。たとえば、食の安全性については全く良いイメージはない。中国の食べ物が日本より安全性に欠けている部分があるのは確かだ。しかしお互いを決めつけずに知ろうとしていかないといけない。もっといいことを知っていく努力も必要なのだ。

私はマイナスではない中国を知っているが、外国とはいっても小学生だった私は両親に守られていた。今の歳で住んでいれば、感じるものは全く違ったのだろう。だからこそ、私にとって、ふるさとの一つともいえる中国の良さを知ってもらうために、日中の懸け橋になれるような人になりたい。

問題を解決することは大切だ。しかし、目の前のことだけでなく長い視野で捉え、相手を理解すること。そして日本人も中国人も一方の考え方だけでなく、相手をまず知って、帰属意識や文化の違いを認めること。これが互いの国の人々がこの先幸せに暮らしていくために必要不可欠なのだと考えた。

「混沌」これが中国上海を表す、私にとっての一番の言葉だ。そこにはいろいろな匂いが詰まっている。

中国招待に参加して

以前に住んでいたときと中国の印象が変わったかと聞かれると、変わっていないと答えます。私が接した中国の方々はみんな親切でした。だからその分、まだ守られた環境であり、中国を肌で感じられていないのだと思います。ただ一つ確信を持ったことは、自分はまた必ず中国に行くのだなということ。そのときには自らの力で中国を知る努力をしたいと思います。今回のこの経験は私のこれからの人生において中国と関わる大きなきっかけとなるはずです。貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。



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